01. すしのルーツは、東南アジア◆東南アジアから伝来した「すし」「すし」の原型は、紀元前の東南アジア、特にタイの東北部やミャンマーなどの平野部で、稲作とともに成立した魚の保存食である。それが今の定説となっています。では、日本でいつから「すし」が食べられていたのでしょうか。8世紀中頃に出された「養老令」には既に「すし」の記述があるため、少なくとも奈良時代には「すし」が、中国を経て日本に伝わったと考えられます。稲作文化の伝来は、縄文時代の終わり~弥生時代とされているので、そのあたりまでさかのぼることができるかもしれません。01Sep2019お寿司のルーツ
02. <生なれずし>の登場◆ごはんも食べたい…その願いがかなった、室町時代の<生なれずし>保存食であった<なれずし>が、今のようにご飯も一緒に食べる形になったのは、室町時代といわれます。<なれずし>よりも簡単に作って食べようとする<生なれずし>の誕生です。ごはんと塩漬けの魚で発酵させるのは、同じですが、<なれずし>が約3ヶ月~1年の発酵期間をおくのに対し、<生なれずし>は約2週間~1ヶ月ほど。完全に熟成させないので、魚はまだ生っぽさが残っていますが、ご飯にはほどよく酸味が出て食べられます。貴重品だったご飯を捨てることなく魚と一緒に食べるようになったのです。02Aug2019お寿司のルーツ
03. <早ずし>の誕生◆お酢を使って手早く今、「すし」をつくるのに欠かせない酢。それ自体は古くからありましたが、庶民の間に調味料として広まったのは江戸中期と考えられています。酢を使えば、手早くすぐに酸味を効かせたご飯がつくれるため、その頃から、すしにも酢が使われ始められました。1700年頃になると、江戸や京、大坂に「すし屋」が登場します。この時代のすしは、箱に酢飯をつめ、その上に魚介類を乗せて落し蓋をし、重石を置いて数時間後に食べるというもの。これは、<早ずし>と言われました。今のように酢を混ぜ込むのではなく、上から酢を振り込む方法だったそうです。この頃、「箱ずし」「巻きずし」「いなりずし」など今でも愛されているおすしが次々と生まれました。03May2019お寿司のルーツ
04. もう一つの「鯖街道」◆紀伊半島にもあった「鯖街道」上方で食べられていたすしの一つに「鯖ずし」があります。特に有名なのは、京のそれ。若狭(福井)の塩を施された鯖が京まで運ばれた「鯖街道」があったからであるのは、よく知られています。ですが実は、紀伊半島にもう一つの「鯖街道」があったのをご存じでしょうか。紀伊半島沖の熊野灘で獲られた鯖を行商人が北に向かって売り歩いたのです。その起源は定かでありませんが、一説には「江戸中期に紀州の殿様が熊野の漁師に重い年貢を課したことから、漁師はそのお金をひねり出すために、夏サバを塩で締め、吉野川筋の村に売りに出掛けた」(『大和の食文化』、奈良新聞社、2005年)とも言われています。そのルートはいくつか考えられますが、一つに東...04Apr2019お寿司のルーツ
05. バラエティに富んだ上方のすしすしのルーツをたどってきましたが、最後に上方で愛されるすしをいくつかご紹介します。◆華やかな箱ずし箱ずしは各地にありますが、やはり上方で食べられているものが有名です。鯖、鯛、エビ、アナゴ、加えて京都では、ハモを使い、箱に詰めて、押しずしにしました。棒ずしや、魚を丸ごと使う姿ずしに対して、魚を箱にあわせて整形します。箱に入れて押すということから、魚だけではなく、おぼろや玉子焼き、椎茸などの煮野菜を組み合わせるなど、多彩な具材をうまく組み合わせるすしと言っても良いでしょう。箱ずしは元々、箱で漬けて発酵させたもの。それが進化し、サイズを小さくしたり、押したすしがきれいに取り出せるように底板が抜けるようにしたりと、箱が改良され、今の形に近づ...05Feb2019お寿司のルーツ